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カテゴリ「文字17件]

文字

セミの思い出話。
 今年もまた、セミが鳴きだした。
 一足はやく起きたらしいニイニイゼミの繊細な音に、アブラゼミの力強い声が重なる。
 セミの存在を感じると、私の頭の中には小学生の頃のひとつの夏が思い起こされる。あの頃の夏休み、両親は私たち兄弟を、四国の山にあるキャンプ場に連れて行ってくれた。キャンプ地といっても、テントを建てるのではなく、小さなコテージに泊まるのだけれど。
 すぐそばの小さな崖を下りたところには泳ぐのにちょうど良い沢があったし、もう少し遠くへ行けば、大きなカブトムシやクワガタのとれる林もあった。それで私たちは、昼には涼しい沢で泳いだり魚を見たりして、夕方にはバナナで作った虫用の罠を仕掛け、そして次の日には朝早く起きて昆虫採集に行く、というのが決まりのようになっていた。
 ある日の夕方、コテージの中でぼんやりとしていたところ、外から父親の声がした。聞けばセミの幼虫だと言う。それで私ははね起きて外へ飛び出していった。
 子どもというのはセミの抜け殻を集めるものだから、その形はみなよく知っているだろう。大きくて丸いビーズみたいな目に、つやつやつるんとした形の胴体。それを支える小さな脚の一番前に並んだものには、たくましくて立派な爪がついている。そんなセミの抜け殻と同じ形をしてはいたが、そこにいたのは全くの別物であった。
 抜け殻よりも濃い茶褐色に輝く体、そしてそこについたくろぐろとした目は、抜け殻なんかと全く違った存在感を放っていた。今ここに生きている、と強く主張しているように。
 そこで私ははっとした。夏に嬉々として集めていたあの茶色いカサカサの物体は、かつて紛れもなく命が入っていた跡であったのだ。頭で分かったつもりになっていることと、命を目の前にして感じることは違うということも、そこで私に刻み込まれた。そのくらいに、目の前を小さく歩くセミは私に強く衝撃を与えたのだ。
 父は、せっかくだから羽化を観察しよう、と言った。
 具体的にどういう方法をとったのかは、正直あまり覚えていない。確か割り箸をコップに固定したのだったか、と思う。とにかく、セミは少し薄暗いところに置かれて、彼なりに納得のいく位置を見つけてしばらくの間じっとしていたのだ。
 私はその脇であわただしく、鉛筆とノートを準備した。こんな良い機会なのだから、記録しなければと思ったのだ。
 気もそぞろに夕飯を食べて、またセミに向かう。この頃は生物スケッチの知識なんてなかったが、できるだけ同じように描こう、と考えていた。大きな目、ぴんとした触角、足の節、体の節。かわいさとかっこよさを兼ね備えている、なんて素晴らしい生き物だろう、とうっとりした。
 やがて、セミの背中に亀裂がはいった。亀裂は少しづつ横に広がって、少し薄い色の中身が見えてくる。
 私はそれを隣のページに描き起こした。セミの姿とノートのそれぞれに絶えず視線をやりながら、気付いたことや考えたこともすべてメモしていく。
 セミは白くてくしゃくしゃの身体を茶色い殻から引き出しながら、ゆっくり、ゆっくりとのけぞっていく。気持ちよさそうにぐっと弧を描いた体は、青っぽい三日月みたいだ。しばらくそのままになっていたかと思うと、満足したように体を持ち上げた。元の体から、同じような節のついた新しい体を引き抜いて、羽を乾かすようにまたじっとする。はじめはまるで絞ったタオルみたいだった羽は、見知った形にひろがってゆくのだった。
 自分でも驚くような速さでセミの絵を描き、またセミに目をやる。姿に変化があるたびその部分を新しく描いていたから、セミの絵はもう何ページにもわたっていた。
 私はまだ青白いセミを眺めた。よく知るセミと全く同じ形だが、その姿はかがやいて見えた。それは色のためだけではない。すべてのセミの一生に、この魔法のような不思議な変化があることを、彼が教えてくれたからである。
 小学生にしては遅い時間の就寝の後、朝になるとセミはもうどこかへ行ってしまっていた。コテージの外、耳にわあわあとひびくセミの音の中のどこかに、あの個体の声が混じっているのかもしれない。
 セミは、地上に出てから羽化して成虫になるまでにその多くが命を落としてしまう、というのは後に知った話だった。つまり、辺りでいっぱいに生きているすべてのセミは、幸運の体現者なのである。
 私たちの観察のために無事に羽化できたセミは、もし何かが違えば、例えばアリなんかの命を救っていたのかもしれない。だが確かに私はあの一匹から大切なものを教わったのだ。何が正しいのかは分からないけれど、今でも私はあのセミに大きな感謝の念を持っている。
 今年もまた、セミが鳴きだした。
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文字,日記

散文。6月頃に書きかけていたものに加筆した。
ドクダミの花が満開だ。
春、次から次へと彩られていく植木や花壇の裏で、ひそやかに、しかし華やかに、真っ白な舞台が用意されている。
ドクダミというと繁殖力が高いだとか強い臭いがあるだとかいう印象が強いけれど(そしてそれはやはり、決して悪いことではないのだけれど)ほんとうは花としてもたいへん美しいのだ。
ハートの葉の重なりを掻き分けて、少し外を覗いてみようか、というように顔を出す姿は、小さくて可憐な印象もあってあどけない少女のようである。それがたくさん咲いている場所なんかは――もしそれが放っておかれた物置の隅なんかだったとしても、花畑といって差し支えない景色だ。
夜の暗い空にぱらぱら光るのが星ならば、ドクダミの花は初夏の緑に光る足元の星であろう。
白い総包片を四つ丸く伸ばす姿は凛として、日向のずっと高いところに咲いているよく似たヤマボウシにも堂々として並び立つ。
彼女たちの美しさは、初夏の光をひっそりと避けてなおかがやいている。
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文字,日記

日記のような文。蚊にはいっぱい刺された。
初夏の日暮れ。
用事を終えて扉を開くと、すぐそばの公園から甲高く耳に届く音色があった。ニイニイゼミが息も切らせずに音を響かせているのだ。もちろん息というのは言い回しによるものだが――まあ、あの小さな体でよくやるものだ。
サルスベリが咲いて、セミが鳴き出す。私の中ではこのふたつが訪れるとようやく、ああ夏が来た、春はまた来年を待つのみだと思うのである。

夕焼けはついさっき空を通りすぎたばかりのようで、東には薄い群青の夜が近付いていた。広い空の低いところに、大きな月が浮かんでいる。あと一日か二日で満月になろう月だが、それでも黄色く丸いお菓子のように丸々と輝いて、たいへん綺麗である。
今日の昼はよく晴れていたから、空気はからっと乾いていた。それでいて、それほど暑くない。ああ、なんて良い初夏の夕だ。
黒々とした木々の影を見上げながら、コウモリが飛びそうな空だ、と思った。途端、まるでこの考えを読んだかのように、アブラコウモリの影がぱっと飛ぶ。せわしなく飛ぶその姿は、木の影から木の影へ、さっと現れては消えてゆく。さっきから蚊がぷんぷんとんでいるが、これも彼らにとってはきっとご馳走に違いない。
帰路に着く。大きな満月は町じゃ電線にとらえられて、少し窮屈そうにかがやいていた。
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文字,日記

カエデに種がついていた。
秋になるとくるくる踊るように舞い落ちる、プロペラのついたあの種だ。
秋に見るかさかさした茶色い姿とはまるで違う、
元気な黄色と鮮烈な紅色の、グラデーションの一張羅。

あれが春のうちから準備を始めていることを、恥ずかしながら長いこと知らずにいたのだ。
遠目で見るとカエデが紅を差しているかのようにも見えるし、
近くで見ればたくさんの蝶が止まっているようにも見える。

よく通る道なのに、これまでずっと通り過ぎていたのが嘘みたいなほどに綺麗だ。
彼女たちは、明るい萌黄の葉にきっといちばん映える色で、春のうちから踊りの稽古を始めてるのだ。

文字,ゲーム

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クジラが夢を見る場所。
かつては海の底にあったこの遺跡も、すっかり乾ききってしまいましたね。
ここには1滴の水もないけれど、星の欠片があなたがたの喉を、身体を、記憶を潤しましょう。
大丈夫、もう時計の砂はすべて落ちましたから。
ゆっくりと眠ってくださいな。
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#リヴリー

文字

#知恵の劇場
ロクの名前についての昔話
「タラッサ、って、何?」
「ああ、これか。私の名前だよ。」
「なまえ……。魔女、じゃない?」
 ロック鳥は首を傾けた。物には名前がある、それは魔女が教えてくれたことだ。だから、彼はてっきり「魔女」というのがこの人間の名前なのだと思っていた。
 魔女は頷いた。
「魔女というのは、私に後から付けられた記号のようなものだよ。タラッサというのが本当の名前なのだ。私はよく知らないが、どこかの海の神と同じだとかね。……だが、どうでもいい。今ここで私のことを呼ぶ者は誰もいない。」
 穏やかな低い声でそう云い放ち、魔女は紙を暖炉に放り込んだ。伏せた目に、火の粉がぱちぱちと光る。
「いる、よぶひと。」
 魔女の服をぐいと引っ張ってロック鳥は言った。振り返った魔女に、しっかり目を合わせる。真っ直ぐな視線に、魔女は気が抜けたように微笑み返す。
「そうだったな。」
「だが、良い。お前には魔女と呼ばれたほうが心地が良いのだ。ここに過去の私、タラッサはいない。居るのは只の魔女とお前だけ……」
 魔女はそう言いかけたところで口をつぐんだ。ロック鳥は、考え込む魔女の顔を覗き込む。
「どうした?」
「私の名前は魔女で充分――だが、お前は名前が欲しいかい?」
 ロック鳥はぱっと顔を明るくした。
「ほしい! 私の名前!」

「折角だから、何かお前の好きなものにしよう。何が良い?」
 彼は、好きなものとして何にするかはすぐに思いついたようだったが、それを表す丁度いい言葉が決まらないようで、自分の知っている言葉から探すように、色々な単語を挙げていった。
「しま、じめん、りく、つち……」
「土地、孤島とかか?」
 魔女は試しに似たような言葉を挙げてみる。ロック鳥は納得いかない様子で、言葉に迷いながらも言った。
「タラッサは、海。じゃあ私は、海じゃないところ……がいい。海と島は、ずっと隣だから。」
 魔女は困ったように、嬉しそうに笑った。
「お前は本当に甘えるのが上手だなあ。」
 少し待ちなさい、と言って魔女が自室から取ってきたのは、かなり分厚い本だった。魔女の片手にやっと収まる大きさの本を開いて現れた、びっしりと埋まったページに何が書かれているのか、ロック鳥にはさっぱり分からなかった。豆粒の様に小さい文字は、そもそもどうやって書いたのかと驚くほどだった。その様子を見て魔女は説明した。
「これは辞書というものだ。ものの名前と、その意味が書いてある。……この文字が小さすぎて読めないなら、お前がもっと小さくなれれば良いのだよ。」
 しょんぼりするロック鳥をよそに、魔女は声色を明るくした。
「これなんてどうだね。東方の国の言葉だが、ロック鳥に近い響きがある――それに、お前も言いやすそうだろう、ロク?」
ロック鳥は、これまでにない位の笑顔をうかべて、とびきり良い返事をしてみせた。
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文字,日記

散歩をしたら、水浴びするスズメたちと息絶えたカラスを見た。
生と死だ。
サザンカが咲き始めている。

いつだか、春夏秋冬のどれに一番「死」の印象があるか? というアンケートを見た。
そこでの最多票は冬だったけれど、自分は秋だなと思った。
死ぬものは死んでいき、まだしばらく生きるものは眠る準備を始める、無常の季節。
それが秋。

このからんとした空気を冬のうちに忘れてしまわないよう、
今のうちにたくさん吸っておこう。

文字,ゲーム

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湯船のなかで微睡んでいたら、いつの間にか雲の上まで来てしまっていたみたい。
気球は勝手にこぎだして、朝焼けの雲にそっと降りる。
星がすぐにでも掴めそうなところに、優しく瞬いていた。
ーー手に取らないのかって?
ええ、触ったら最後、この夢から覚めてしまいそうだから。
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#リヴリー

文字,ゲーム

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どこかの星の、忘れ去られた研究棟。
とはいえ他にやることもないので、少しずつ苔に蝕まれながらも、淡々とデータを記録していく。
ああほら、今日は空気が薄いから遠くの星までよく見えるね。
もう戻れやしないのに、故郷の星を探すのをやめられずに居る。
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#リヴリー

文字

「夏の川には化け物がいるよ」と言われ育ち大人になって、あれは子供を危険な目に合わせないための嘘だったのだ、と気付いてから本当に化け物がいたことを知る話
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