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No.772

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#舞台裏の欠片
「テンシヒョウホン」1
ロージィの過去話
生まれて初めて見た”芸術”のことを、今でもはっきりと覚えている。

真っ白な衣装を身に纏ったそのひとは、スポットライトの下で本物の天使のように見えた。
一枚の花びらがひらひらと舞い落ち、地面に着く前にまたふわりと浮き上がるような姿。それを見る自分も飛んでいってしまいそうになる、幻のような光景だ。
爪先が硬い床から離れ、軽やかに跳ぶ。まるで、この世に重力なんてなくて、体がひとひらの羽でできているようだ――いや、それはあながち嘘ではないのかもしれない。
なぜならその背には、どんな宝石より輝く鱗粉に覆われた、四つの青い翅が広がっていたのだから。

「彼はキプリスモルフォの家系だよ」
友人が、公演後にそう教えてくれた。
僕はさっきの夢見心地を引きずったまま、へえ、と返事をした。

劇場を出てすぐにその子のパパは、知り合いに挨拶をしてくるから待っててくれ、と少しのこづかいを彼に渡して戻ってしまった。
僕らはそのお金で飴をひとつずつ手に入れて――正確には、その子が二つ買ったうちの片方を僕に恵んでくれて――入り口の階段に座り込んで話していたのだ。

僕は友人の話に耳を傾けていた。
「新進気鋭のバレリーノと評判だけれど、ボクには少し荒っぽく見えるね! 前回のタテハのほうがずっと繊細な演技だよ。キミはどう思う?」
彼はそう言ってこちらを見たが、僕は何も言わなかった。いや、言えなかった。
代わりに少し俯いてはにかんでみせると、彼はその理由を思い出したようで、片方の口の端を上げた。
「ああそうか、ロージィ。そういえばキミは公演を見るのは初めてだったね」
「うん」
僕が小さくそう言うと、彼はつまらなさそうに飴を口の中で転がした。
大理石の階段は、座席よりずいぶん居心地が悪い。

「で、どうだったの?」
友人の問いに対し、僕は素直に、そしてできるだけシンプルな感想を述べた。
「夢のような美しさだったよ。見られてよかった。連れてきてくれてありがとう」
それを耳にした彼は、ぱっと満足げな笑顔になる。
「いや、全く構わないよ! 蛾のキミには、こんな良い公演を見られる機会は他にないだろうからさ。パパのおかげだね」
僕は愛想の良い笑顔で頷いた。

彼の言う通りだ。
彼の言う通りなのだけれど。
僕は心の端っこを、ほんの少し、ちくりと針で刺されたような感覚がした。
でも笑顔を崩さずに、僕はその針ごと飲み込んだ。

彼らは(バタフライ)、僕は(モス)
蝶は美しく、蛾は醜い。蝶は高貴で、蛾は下賤。
それはどの大人も言う、”本当のこと”だ。

僕があの会場でのんきに座っていられたのは、まだ子どもだからだ。
きっと大人になれば、あの光景はもっと遠ざかってしまうのだろう。あのモルフォのようにステージに立ちライトを浴びることなんて、夢のまた夢だ。

(そう、君には叶えられない夢だ。だから……憧れるんじゃない)
僕は自分にそう言い聞かせ、いずれ生えてくる触覚の辺りをいじりながら、蝶々ばかりが行き交う華やかな通りを眺めた。
メープルシロップ味の飴は、まだ溶けきらない。

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