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No.775

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#舞台裏の欠片
「ハーバリウムの北辰」1
ほくとの過去話
「遅れて申し訳ありません、予定が長引きまして。えー、アンドロイドのナナさんですね?」
「まさかぁ! 機械じゃありませんよ。ほくとちゃんは見て分かるように、れっきとした人間です」

そう返す”ナナ”は、相手の発言に多少の疑問を抱いている様子はあるものの、怒りや不快さがあるようには見えない。
十代ほどの背格好、肌の質感、少し寝癖のついた髪の毛――。確かにそういうところを見れば、彼女は充分なほど人間らしい。
しかし、ゴーグルの下のメインカメラは明らかに機械的な挙動で目の前の人物を見つめていた。微かなモーター音とともに、自然な挙動で首を傾げる。

カウンセラーは、多忙が作った眉間のしわをもっと深くして、前回の担当者が書いたカルテを捲った。
『TSUKI-07。2307年個人製、呼称ナナ。
記憶領域の参照に問題あり。本来の自己情報へのアクセスが遮断され、現在は旧オーナー「北斗」を自己として認識している。』

長期間稼働したAIの不調を直すのに、初期化は最も簡単な手段だ。しかしコミュニケーション用アンドロイドに対して、多くのオーナーはその選択肢をとりたがらなかった。
たとえ以前と同じデータを引き継いでいても別人のように感じてしまうから、というシンプルかつ感情的な理由だ。
アンドロイド専用の精神医療施設は、もう何カ月も予約に空きがなかった。長引く戦争の中、医者の人手も足りなくなっている。

カウンセラーは、カルテの下部に記載されている文章に素早く目を通し、昨日読みっぱなしにしていたその内容を思い出した。
『当該状態はクライアント自身による操作の結果であると推定。第三者による不正アクセスの痕跡なし。
治療目標は、北斗の記憶保持を前提とした、ナナの自己同一性の復元』

自分の設定を自分で書き換えた――随分と面倒なケースだ。しかしこれも仕事だと、カウンセラーは心の中で溜め息を吐いた。
当の本人は退屈な子どものように、椅子の背もたれをキイキイいわせている。

「……失礼しました。北斗さんは人間なんですね。それでは、ナナというアンドロイドをご存じですか?」
「はい! ナナはほくとちゃんの友達です。ママが作ってくれて、子どもの頃から一緒だったんですよ。ナナは何でもできて、パパの温室の管理も手伝ってたんです!」
アンドロイドは友人(かつての自分)たるナナの有能さを自慢げに語った。

カウンセラーは親しげに微笑む。
「そうですか。仲が良かったんですね。ナナさんとは、いつまで一緒だったんでしょう?」
アンドロイドはわざとらしく悩むように首を傾げた。
「そうですねえ。ほくとちゃんが軍に行っちゃって……それからずっと、会いませんでした。ほくとちゃん、お家になかなか帰れなかったから」
「軍にいた時のことは、覚えていますか?」
白い部屋に沈黙が訪れた。

アンドロイドからわずかに聞こえる冷却ファンの音が数秒間響く。
彼女は自らそれを打ち破るように、弾けるように笑って言った。
「うーん、あんまり! ねー、他の話をしませんか? 好きなものの話とか……そう、恋バナとか!」
ぱっと明るい笑顔の前に一瞬見えた陰りを、カウンセラーは見逃さなかった。
「……恋バナはしませんが、好きなものの話はいいですね。北斗さんの好きなものを教えてください」
「もちろんです!」
今後の方針について思考を巡らせながら、カウンセラーは擦れた指のモーターを軋ませた。

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