Blog
タグ「銀嶺の獣」[3件]
2025年10月13日(月)
〔30日前〕
創作の話
#銀嶺の獣

「あ! 魚いたよ!」
ニーナが川のほうへぐいっと身を乗り出す。
彼女が指差す先では、水が穏やかに流れていた。朝日を受けた水面は、静かに音をたてながらちらちらと輝いている。小さな沢は、ここ数日の雪解け水でいつもより僅かに水流が速い。
ゼルデデは、ついさっき少女に持たされた枝の片方を軽く引っ張って警告した。
「あまり、川縁に近づくんじゃない。……雪が滑って、落ちるぞ」
「大丈夫だよ! ほら、ニーナは枝のこっち側持ってるから。こうやって、手を離さなきゃいいんだよ」
無邪気な少女はそう言って、枝の片側をつかんだまま体重をかけるように川を覗き込む。
ゼルデデは枝と紐を握る手を強めた。
細い紐はニーナの腰元につながっていた。それは、まだ幼く落ち着きのない彼女を森で見失わないよう、数週間前に結びつけるようにしたものだ。
幸か不幸か、この紐は既に何度かその役目を果たしていた。
また今日も面倒事が起こるのかと、うんざりした気持ちになる。
「川縁は危ないんだ。前にも一度川に入って、ひどい風邪をひいただろう。あれと同じようになる……」
「ゼルデデほら! あそこにも! あの魚、捕まえられないかなあ?」
心配をよそに、ニーナは水の中の気配に夢中になっていた。川のほうへ重心を移動させるたび、小さな靴はぎゅう、と微かな音を立てて雪に沈み込む。
ゼルデデは仮面の下で眉をしかめ、低いため息を吐く。それから、脇でそわそわとしているオオカミに声をかけた。
「おいアル。お前も見ていないで、こいつを止めろ。俺は、病人の面倒をみるのは、こりごりなんだ」
オオカミはその不機嫌そうな顔を一瞬見上げてから、真意を察する。
『ニーナ、ゼルデデが心配してるぜ』
湿った鼻でぐいと胸元を押され、ニーナは唇を尖らせた。「はーい」と煮え切らない返事をして、ゼルデデの足元まで後ずさる。
「ね、ゼルデデはあの魚とれる?」
ニーナを連れて数歩下がりながら、ゼルデデは仮面越しの川に目をやった。銀に光る水面の下で、小さな影が揺れているのが見える。
「捕れるが、ここのは小さすぎて、食えるようなものではない。わざわざ捕ろうとは、思わん」
そう不愛想に言った数拍の後、ゼルデデはまた口を開いた。
「……興味があるなら、後で釣具でも作ってやろうか」
「釣り! やりたい! ね、早くお散歩終わらせて帰ろうよう」
少女は見上げた瞳を輝かせて、ぐいぐいと枝を引っ張る。
わがままな振る舞いに呆れながら、ゼルデデは白い息を吐いた。
畳む

「あ! 魚いたよ!」
ニーナが川のほうへぐいっと身を乗り出す。
彼女が指差す先では、水が穏やかに流れていた。朝日を受けた水面は、静かに音をたてながらちらちらと輝いている。小さな沢は、ここ数日の雪解け水でいつもより僅かに水流が速い。
ゼルデデは、ついさっき少女に持たされた枝の片方を軽く引っ張って警告した。
「あまり、川縁に近づくんじゃない。……雪が滑って、落ちるぞ」
「大丈夫だよ! ほら、ニーナは枝のこっち側持ってるから。こうやって、手を離さなきゃいいんだよ」
無邪気な少女はそう言って、枝の片側をつかんだまま体重をかけるように川を覗き込む。
ゼルデデは枝と紐を握る手を強めた。
細い紐はニーナの腰元につながっていた。それは、まだ幼く落ち着きのない彼女を森で見失わないよう、数週間前に結びつけるようにしたものだ。
幸か不幸か、この紐は既に何度かその役目を果たしていた。
また今日も面倒事が起こるのかと、うんざりした気持ちになる。
「川縁は危ないんだ。前にも一度川に入って、ひどい風邪をひいただろう。あれと同じようになる……」
「ゼルデデほら! あそこにも! あの魚、捕まえられないかなあ?」
心配をよそに、ニーナは水の中の気配に夢中になっていた。川のほうへ重心を移動させるたび、小さな靴はぎゅう、と微かな音を立てて雪に沈み込む。
ゼルデデは仮面の下で眉をしかめ、低いため息を吐く。それから、脇でそわそわとしているオオカミに声をかけた。
「おいアル。お前も見ていないで、こいつを止めろ。俺は、病人の面倒をみるのは、こりごりなんだ」
オオカミはその不機嫌そうな顔を一瞬見上げてから、真意を察する。
『ニーナ、ゼルデデが心配してるぜ』
湿った鼻でぐいと胸元を押され、ニーナは唇を尖らせた。「はーい」と煮え切らない返事をして、ゼルデデの足元まで後ずさる。
「ね、ゼルデデはあの魚とれる?」
ニーナを連れて数歩下がりながら、ゼルデデは仮面越しの川に目をやった。銀に光る水面の下で、小さな影が揺れているのが見える。
「捕れるが、ここのは小さすぎて、食えるようなものではない。わざわざ捕ろうとは、思わん」
そう不愛想に言った数拍の後、ゼルデデはまた口を開いた。
「……興味があるなら、後で釣具でも作ってやろうか」
「釣り! やりたい! ね、早くお散歩終わらせて帰ろうよう」
少女は見上げた瞳を輝かせて、ぐいぐいと枝を引っ張る。
わがままな振る舞いに呆れながら、ゼルデデは白い息を吐いた。
畳む
#銀嶺の獣

山の天気が変わるのは、突然だった。
散歩の間に吹雪に吹かれたゼルデデは、一人と一匹をかついで近くの洞窟に潜り込んだ。薄暗い闇の中に下ろされたふたりは、雪の張り付いた顔を見合わせた。オオカミのアルは、ニーナが冷えないようにぎゅっと体を近寄せる。
洞窟の奥で、ゼルデデが何かがたがたと音を立てている。状況がまだあまり理解できていない少女は、呑気に質問を投げ掛けた。
「ねー、何してるの」
その高い声は、洞窟の中にわあんと響いた。絶えず反響している外の風音と重なって、耳の奥が揺れる。
ゼルデデはただ一言「準備」とだけ返事をする。暗い中で何をしているのか、ニーナの視界にはほとんど映らない。
やがて彼は入口付近の、どうにか吹雪の風が当たらないくらいの場所に腰を下ろす。そして懐から取り出した火打ち石で、枯れ枝の隙間に小さな火を起こした。その火は辺りをかすかに照らす。ニーナとアルはぴったりくっついたまま、そこへ近付いた。
「あったかいねぇ」
少女は手をかざして微笑む。
ゼルデデは黙って、火の様子を見ながら淡々と枝を投げ込んでいく。枝はぱちぱちと音を立て、段々と火の勢いも強まってきた。
洞窟の壁に、三つの大きな影がゆらゆらと映る。
『よく燃やせるような枝があったな』
それは二人にだけ聞こえるアルの声だ。ゼルデデは火から一切目を離さずに、ぼそぼそとした低い声で答える。
「この辺りはよく通るから、こういう時のために、時々補給しているんだ。奥に小さな縦穴もあるから、換気も心配ない……良い場所だ」
少し明るく照らされた辺りを見れば、火を焚いた跡や掃除をした形跡が見える。
『こういう場所は、他にもあるのか?』
「……何ヵ所か、ある」
会話はそれきりで、暖かな炎に照らされた空間には、ごうごうと吹く風の音が響いていた。
火が安定してくると、ゼルデデは雪で濡れた上着を脱いだ。上着の表面が乾くようにそばの地面に広げ、いつの間にか外していた仮面を、その上に静かに置く。
ゼルデデが焚き火に向かってどしりと腰を下ろすと、アルとニーナは彼を挟むようにぴったりとくっついて座り込んだ。
「ねえゼルデデ、お話して」
ニーナはそう言ってゼルデデを見上げる。目が合うと、金と青の大きな瞳はぱちぱちと瞬きをした。
「話、だと?」
「うん!」
「話すことなど、ない」
考える素振りもなく、ゼルデデは首を横に振った。少女は頬を膨らませる。
「えーっ。作り話でも、昔話でも、何でもいいんだよ。このままじゃ眠くなっちゃう! アルもそうでしょ?」
『オレは別に……』
オオカミはそう言いかけて、目の前にいる少女のしかめっ面の意味を汲み取った。
『ゼルデデ、オレもお前の話が聞きたいな。お前はこの中で一番長生きだから』
男は一人と一匹の顔を見やると、眉間の皺に手を当てて、低く長いため息を吐きだした。
少し間をおいて、観念したように口を開く。金色の目に、焚き火の明かりがちらついた。
「……俺が子どもの頃に聞いた話だ。昔、とある村に男が住んでいたという。彼はたいへんな正直者で――」
普段とは違う朗々とした語り口に、ニーナとアルは一瞬目を見合わせた。しかしその驚きは、話に聞き入っていくとすぐにどこかへ行ってしまった。
低い声で紡がれる語りが、洞窟内にこだまする。うなる風音と、枯れ枝がはじける音とが重なって、まるで歌のように響いていた。
畳む

山の天気が変わるのは、突然だった。
散歩の間に吹雪に吹かれたゼルデデは、一人と一匹をかついで近くの洞窟に潜り込んだ。薄暗い闇の中に下ろされたふたりは、雪の張り付いた顔を見合わせた。オオカミのアルは、ニーナが冷えないようにぎゅっと体を近寄せる。
洞窟の奥で、ゼルデデが何かがたがたと音を立てている。状況がまだあまり理解できていない少女は、呑気に質問を投げ掛けた。
「ねー、何してるの」
その高い声は、洞窟の中にわあんと響いた。絶えず反響している外の風音と重なって、耳の奥が揺れる。
ゼルデデはただ一言「準備」とだけ返事をする。暗い中で何をしているのか、ニーナの視界にはほとんど映らない。
やがて彼は入口付近の、どうにか吹雪の風が当たらないくらいの場所に腰を下ろす。そして懐から取り出した火打ち石で、枯れ枝の隙間に小さな火を起こした。その火は辺りをかすかに照らす。ニーナとアルはぴったりくっついたまま、そこへ近付いた。
「あったかいねぇ」
少女は手をかざして微笑む。
ゼルデデは黙って、火の様子を見ながら淡々と枝を投げ込んでいく。枝はぱちぱちと音を立て、段々と火の勢いも強まってきた。
洞窟の壁に、三つの大きな影がゆらゆらと映る。
『よく燃やせるような枝があったな』
それは二人にだけ聞こえるアルの声だ。ゼルデデは火から一切目を離さずに、ぼそぼそとした低い声で答える。
「この辺りはよく通るから、こういう時のために、時々補給しているんだ。奥に小さな縦穴もあるから、換気も心配ない……良い場所だ」
少し明るく照らされた辺りを見れば、火を焚いた跡や掃除をした形跡が見える。
『こういう場所は、他にもあるのか?』
「……何ヵ所か、ある」
会話はそれきりで、暖かな炎に照らされた空間には、ごうごうと吹く風の音が響いていた。
火が安定してくると、ゼルデデは雪で濡れた上着を脱いだ。上着の表面が乾くようにそばの地面に広げ、いつの間にか外していた仮面を、その上に静かに置く。
ゼルデデが焚き火に向かってどしりと腰を下ろすと、アルとニーナは彼を挟むようにぴったりとくっついて座り込んだ。
「ねえゼルデデ、お話して」
ニーナはそう言ってゼルデデを見上げる。目が合うと、金と青の大きな瞳はぱちぱちと瞬きをした。
「話、だと?」
「うん!」
「話すことなど、ない」
考える素振りもなく、ゼルデデは首を横に振った。少女は頬を膨らませる。
「えーっ。作り話でも、昔話でも、何でもいいんだよ。このままじゃ眠くなっちゃう! アルもそうでしょ?」
『オレは別に……』
オオカミはそう言いかけて、目の前にいる少女のしかめっ面の意味を汲み取った。
『ゼルデデ、オレもお前の話が聞きたいな。お前はこの中で一番長生きだから』
男は一人と一匹の顔を見やると、眉間の皺に手を当てて、低く長いため息を吐きだした。
少し間をおいて、観念したように口を開く。金色の目に、焚き火の明かりがちらついた。
「……俺が子どもの頃に聞いた話だ。昔、とある村に男が住んでいたという。彼はたいへんな正直者で――」
普段とは違う朗々とした語り口に、ニーナとアルは一瞬目を見合わせた。しかしその驚きは、話に聞き入っていくとすぐにどこかへ行ってしまった。
低い声で紡がれる語りが、洞窟内にこだまする。うなる風音と、枯れ枝がはじける音とが重なって、まるで歌のように響いていた。
畳む
#銀嶺の獣 というのは、いつぞやのキャラデザチャレンジで生まれたキャラを気に入りすぎてできた創作タイトルです。雪山に住む大男ゼルデデと、ひとりぼっちのオオカミのアルクトゥスと、謎の少女ニーナのお話。
全体の構想はあるけど、現時点では特に一本にまとめた物語として書きあげる予定はないです(他創作に書きたいものが多すぎるので……😭)。
たまに書きたいシーンだけ書くくらいが、制作のバランス的にもちょうど良さそう。
雰囲気としては空気感重視で重ためなイメージなので、普段あまり描かない絵が描けるのが新鮮で良い!
こういう自然物メインの背景、とりわけ雪の積もった森というモチーフを描くのが好きだなあ。